プロ野球界(NPB)では、通算200勝(日米通算)が名球会入りの条件ですね。
日本通算200勝は、2008年の山本昌選手を最後に出ていませんね。
また、日米通算200勝は、2016年の黒田博樹選手を最後に出ていませんね。
大投手にも関わらず意外にも200勝に届かなかった名選手を書かせて頂きます。
西口文也選手
西口文也選手といえば、完全試合とノーヒットノーラン達成まで、あと一歩のところで打たれて完封、完投止まりになった事が3度もあることで有名ですね。
2002年の千葉ロッテ戦では、9回2アウトまで、ノーヒットノーランでしたが、残念ながらそこから2安打打たれてしまいましたね。
また、2005年の読売ジャイアンツ戦でも、9回2アウトまで
ノーヒットノーランでしたが、そこから清水隆行選手にホームランを浴びてしまい、完封さえ逃してしまいましたね。
また同じ年の2005年の楽天イーグルス戦では、9回終了まで、なんと完全に抑えていましたが、
味方の援護がなく延長戦に突入してしまい10回表にヒットを打たれて、快挙を逃してしまいましたね。
主なタイトルは、最多勝利2回、最多奪三振2回、最高勝率1回と素晴らしい投手でしたね。
そして西口文也選手は、引退の時に
「やり残した事は、ノーヒットノーラン」
と言われましたね。ある意味伝説ですね。
そんな西口文也選手は、通算182勝であと200勝まであと18勝でした。
斎藤雅樹選手
斎藤雅樹選手といえば「平成の大エース」「ミスター完投」
と言われた大投手ですね。
記録としては、2年連続20勝や11連続完投勝利などがありますね。
記憶に残る試合と言えば、1994年の「10、8決戦」
で中1日で、リリーフ登板し勝利投手になられましたね。
また主なタイトルは、最多勝利5回、最優秀防御率3回、
最多奪三振1回、最高勝率3回、と素晴らしい投手でしたね。
しかし、1999年に右腕と足の内転筋の故障で5勝止まり
2000年も故障がちで、3勝止まりに終わってしまいましたね。
そして、2001年の2勝を最後に引退されました。
斎藤雅樹選手は、通算180勝で、200勝まであと20勝でした。
桑田真澄選手
桑田真澄選手といえば、プロ野球選手としては、決して恵まれない体格ながら、
理想的な投球フォームと野球に取り組む真摯的な態度で、彼を模範とする選手は、今なお多いですね。
桑田真澄選手も「10、8決戦」で7回からリリーフ登板し3イニングを無失点に抑えられてセーブをあげられましたね。
あの時のガッツポーズが印象的でしたね。
しかし、19995年の阪神タイガース戦で、フライの捕球の際に
ダイビングキャッチで右肘を強打され、その後の検査で重症を負っていた事が判明し、「トミージョン手術」を受けられましたね。
1997年に661日ぶりの復帰の際に、マウンドにひざまずきプレートに右肘をつけたシーンが、記憶に残っていますね。
主なタイトルとしては、最優秀防御率2回、最多奪三振1回、
最高勝率1回、獲得されていますね。
またリリーフの時期もあり、14セーブあげられています。
桑田真澄選手は、通算173勝で、200勝まで27勝でした。
三浦大輔選手
「ハマの番長」こと三浦大輔選手は、現役時代、横浜一筋25年活躍された選手でしたね。
三浦大輔選手といえば、抜群の制球力が武器でしたね。
また、完投能力も高い選手で通算16回も無四球完投を記録されていますね。
2012年には、リーグ最多の6完投を記録され、その時の年齢の39才でのシーズン最多は、歴代最年長でした。
また、阪神タイガース戦にとても強く46勝されています。
ちなみに苦手としていた、読売ジャイアンツ戦では、13勝です。
主なタイトルは、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、
最高勝率1回、獲得されていますね。
三浦大輔選手は、通算172勝で、200勝まであと28勝でした。
もしも読売ジャイアンツの投手でしたら200勝超えていたかも、しれませんよね。
石井一久選手
ヤクルトスワローズからメジャーリーグ、その後ヤクルトスワローズに復帰され、その後西武ライオンズで活躍された石井一久選手。
NPBで、143勝をあげられるメジャーリーグでは、39勝をあげられていますね。
日米通算182勝で、209勝まであと18勝でしたね。
主なタイトルは、最優秀防御率1回、最多奪三振2回、最高勝率1回を獲得されていますね。
今回は、以上とさせて頂きます。