阪神タイガースの助っ人。外国人選手。
今まで、たくさんの外国人選手がいましたね。
前回は、活躍された。良かった選手を書かせて頂きましたが、
今回は、結果を残せず帰国していった選手を書かせて頂きます。
ケビン、メンチ
2009年 15試合 打率 、148 本塁打 0本 打点 2
メンチ選手は、メジャー通算89本塁打で、
2004年には、年間26本塁打を記録しており
前評判は、パンチ力のある打撃と走力が最大の武器と評価され期待されましたが、
開幕スタメンでライトのポジションで、出場するも
何故か、速球に対応できず不振をきわめ、
その後、体調不良を訴えて、登録抹消。
2軍で調子を上げて、再び1軍に昇格するも3日で2軍落ちし、
戦力外の扱いとなりました。
とても残念な選手でしたね。
ロブ、ディアー
1994年 70試合 打率、151 本塁打 8本 打点 23
ディアー選手は、メジャー通算226本塁打という実績を引っさげて入団されました。
年棒は、なんと2億7000万円。
キャンプの打撃練習では、凄まじい飛距離の打球を披露し、
期待されました。
しかし、シーズンに入ると、外角低めの変化球に対応できず
ことごとく空振り三振し、三振を量産。
三振率は、(、396)となり 大型扇風機と言われました。
当時の中村勝広監督は、「いつか打つだろうと」
我慢して70試合使いましたが、成績は上がらずでした。
すごく残念な選手でしたね。
マイク、キンケード
2004年 26試合 打率、233 本塁打 3本 打点 7
キンケード選手は、オープン戦では絶好調で打率4割をマークし
内野、外野、捕手まで守れるというユーティリティプレーヤーとしても期待が大きかったのですが、
シーズンに入ると、内角攻めをまったくよけない為、
死球を受けまくり、なんと開幕7試合では、通算6個目の死球を受けて途中退場しました。
その後、5月11の読売ジャイアンツ戦で死球を受けて、
左手薬指を骨折し、それ以降2軍へ。
8月には、一軍に戻ってくるが、その翌日に再び負傷して
2軍に逆戻り、結局その年限りで退団されました。
とても残念な選手でしたね。
トニー、タラスコ
2000年 102試合 打率、239 本塁打 19本 打点 57
タラスコ選手は、俊足、強肩、好守にオープン戦では、
逆らわずに打つ広角打法で、3割は間違いなく打てると
期待されましたが、シーズンに入ると、無理矢理引っ張る打法になり低迷。
また足は、早かったのですが、盗塁失敗が多かったですね。
ただ外野の守備は、非常にうまかったですね。
結局、シーズン終了時に解雇となりました。
少し残念な選手でしたね。
ブルックス、コンラッド
2013年 24試合 打率、175 本塁打 0本 打点 0
コンラッド選手は、当時ゼネラルマネージャーの中村勝弘さんの推薦で獲得しました。
開幕3連戦だけ少し活躍するも、4月17日から58打席連続無安打を記録し、
(1年目の外国人選手として球団ワースト記録)
守備でも、エラーが多く、なんとシーズン序盤の4月22日には登録抹消されました。
とても残念な選手でしたね。
イバン、クルーズ
2001年 70試合 打率 、234 本塁打 14本 打点 34
クルーズ選手は、大砲として期待されて入団しました。
オープン戦では、打率(、385) 本塁打7本 打点14 と好成績を残し、ファンやマスコミからは、
バースの再来と騒がれましたが、シーズン入ると低打率に喘ぎ、
左肩を負傷し、その後試合に出場するも状態は、悪化。
左肩関節唇損傷と診断され帰国してしまいました。
また2003年には、中日ドラゴンズに入団しましたが、
オープン戦では、活躍するもシーズンに入ると、成績を残せず退団されました。
まさにオープン戦だけ男!
残念な選手でしたね。
マイク、グリーンウェル
1997年 7試合 打率 、231 本塁打 0本 打点 5
グリーンウェル選手は、メジャーリーグで何度も打率3割をマークした選手でした。
なんと年棒3億6000万で入団しました。
しかし、キャンプ中に腰をひねり帰国。
5月に復帰するも、自打球で左足甲骨折しわずか7試合で退団。
野球から身を引けと「神のお告げ」と言う迷言を残して退団されました。
もっとも残念な選手でしたね。
外国人選手は、シーズン入ってみないとわからないもんですね。
また日本の野球にどれだけ対応できるかも未知数なところもありますよね。
以上、阪神タイガースの残念な助っ人でした。