球界の番長、お祭り男、と呼ばれ高校野球とプロ野球界で活躍された清原和博さんは、私の世代では、まさにスーパースターでした。
甲子園を沸かせたスーパースター。
清原和博さんは、PL学園で1年生から4番を務められ、同じく1年生からエースだった桑田真澄さんとKKコンビと呼ばれ、甲子園に5度出場されました。
高校通算64本の本塁打を打たれました。
そして、PL学園を2度の優勝に導かれました。
清原和博さんの活躍は、凄まじく甲子園で通算本塁打を13本放ちましたね。この記録は、現在も破られず記録保持者となっています。
西武ライオンズでもスーパースター。
PL学園卒業後、西武ライオンズに入団された清原和博さんは、
高卒ルーキーとして、素晴らしい成績を残され新人王に選ばれましたね。
(打率、304・本塁打 31本・打点 78)
この記録は、高卒ルーキーの歴代最高記録となっています。
当時18才だった甲子園のスーパースター清原和博さんは、プロの世界でも、スーパースターでしたね。
西武ライオンズが黄金期を迎え、秋山幸二さん、清原和博さん、デストラーデ選手の超強力クリンナップを形成し、4番を務められました。
そして、史上最年少の21才9ヶ月で、100本塁打を達成され、
24才10ヶ月で史上最年少200本塁打を達成されました。
また、野茂英雄さんや伊良部秀輝さんとの平成の名勝負は、
しびれる程、ワクワクさせてくれました。
オールスター戦でもスーパースター。
また、清原和博さんはオールスター戦でもスーパースターでしたね。
オールスター戦では、7回もMVPに選ばれていますね。
この記録は、歴代最多記録となっています。
中でも、一年目に高卒ルーキーとして、オールスターに出場され、
第2戦目でMVPを獲得されましたね。
また、オールスター戦通算成績で打点34、通算得点26、通算塁打96、が歴代最高記録となっています。
オールスター戦や日本シリーズなど大舞台での活躍から、お祭り男と呼ばれるようになりましたね。
読売ジャイアンツでは、番長
1997年から読売ジャイアンツへFA移籍されました。
2004年には、通算2000本安打を達成されましたね。
この頃から、風貌が変わり日焼けした強面の顔に坊主頭そして、
ピアスをつけられて、番長と言われるようになりましたね。
スーパースターの引退
2008年10月清原和博さんは、23年間のプロ野球選手生活に終止符を打たれました。
引退試合のゲームが始まる前、当時ソフトバンクの王貞治監督から
「来世生まれ変わった必ず同じチームでホームラン競争しよう」
と言われ、花束を手渡されましたね。
そして、プロ野球最後の9428打席目は、直球を空振り三振で幕を閉じられました。
通算1530打点は、歴代6位。通算525本塁打は、歴代5位でした。
また、通算サヨナラ本塁打12本、通算サヨナラ安打20本は、
歴代最多記録保持者となっていますね。
試合を決める一打は、まさにスーパースターですね。
中でも、強く記憶に残っているのが、オリックス時代にクルーン選手から放った、逆転サヨナラ満塁ホームランですね。
あと、通算1955 三振と196被死球は、日本プロ野球歴代1位の記録となっています。
三振や死球を恐れず525本の本塁打を放った清原和博さんは、球史に残るスーパースターでしたね。