読売ジャイアンツやメジャーリーグで活躍された、上原浩治さんについて今回書かせて頂きます。
上原浩治さんは、東海大学付属仰星高校、
1年の留年後、大阪体育大学、
1998年のドラフトで、読売ジャイアンツを逆指名しドラフト1位で、読売ジャイアンツに入団されましたね。
ちなみに背番号は、上原浩治さんが19を希望されました。
これは、浪人生活を送った19歳の1年間を忘れないようにと言う意味が込められているそうです。
この年のドラフトの目玉は、上原浩治さんと松坂大輔さんでしたね。
横浜高校で、甲子園のスターだったエリートの平成の怪物、松坂大輔さんとは、対照的でしたね。
高校時代は、まったくの無名選手だった。
上原浩治さんの東海大学付属仰星高校時代は、練習では、打撃投手を務められ、
試合では、控え投手でほとんど登板機会もなかったようです。
高校時代は、まったくの無名選手だったそうです。
そんな上原浩治さんは、体育教師になる為に大阪体育大学を受験されました。
しかしながら、結果は不合格だったんですね。
上原浩治さんは、浪人してもう一度受験を決意されました。
人生を変えた浪人生活
この1年の浪人生活が、上原浩治さんの人生を変えましたね。
予備校に通いながら、ジムで日々トレーニングを積まれていたそうです。
その時に、伝説のメジャーリーガーのノーラン、ライアン著の
「ピッチャーズ、バイブル」と読んで、トレーニングに励まれていたそうです。
翌年、大阪体育大学を受験され、合格し野球部に入られた上原浩治さんは、自身が驚くほど球威が増していたそうです。
その1年のトレーニングが、とても良いものだったんですね。
大阪体育大学1年生の春から、エース格として活躍され、
3年生の時、日米大学野球で好投されましたね。
また、インターコンチネンタルカップでは、決勝戦でキューバを破って
世界一に貢献されましたね。
読売ジャイアンツ1年目に大活躍
プロ1年目に、フォークボールを武器に
シーズン20勝4敗で最多勝を獲得され、さらに最多奪三振、最優秀防御率、最高勝率を獲得し沢村賞も受賞されましたね。
ちなみにこの年の流行語大賞では、松坂大輔さんの「リベンジ」と
上原浩治さんの「雑草魂」が選ばれましたね。
通算100勝100セーブを記録した選手は?
先発から抑え、また抑えから先発と、その両方で活躍するとなると
そう簡単な事では、ないですね。
では、先発と抑えで活躍され通算100勝100セーブ以上の成績を残された選手は、
NPBだけでは、過去6人、日米通算を入れると合計8人しかいないのですね。
江夏豊さんは、通算206勝193セーブと、とてつもない記録を残されていますね。凄すぎますね。
広島カープで活躍された
大野豊さんは、通算148勝138セーブを記録されています。
次も広島カープで、活躍された
佐々岡真司さんは、通算138勝106セーブを記録されています。
大洋ホエールズで活躍された
斉藤明夫さんは、通算128勝133セーブを記録されています。
阪神タイガースで活躍された
山本和行さんは、通算116勝130セーブを記録されています。
中日ドラゴンズで活躍された
郭源治さんは、通算106勝116セーブを記録されています。
日米通算では、横浜ベイスターズ、楽天イーグルス、メジャーで活躍された
斎藤隆さんは、日米通算112勝139セーブを記録されています。
そして、上原浩治さんは日米通算134勝128セーブの記録を残されています。
それに加えて日米通算104ホールドを記録されていますね。
100勝100セーブ100ホールドの記録は、世界で上原浩治さんを入れて2人しかいない凄い記録なんですね。
日本人では、史上初の記録となっていますね。
先発、中継ぎ、抑えで活躍となると、ほんとに凄いですね。
現在は、野球解説者、野球評論家、タレント、YouTuberとして活動されています。